2021年3月19日「丹波篠山の黒大豆栽培・300年の歴史」が日本農業遺産認定されました。
丹波篠山の黒大豆栽培が、「何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農業で、それに密接に関わって育まれた文化、農村景観(ランドスケープ)、農業生物多様性が一体となった将来に受け継がれるべき重要な農業システムである」として農業水産大臣から認定されました。
丹波篠山は300年も前から黒大豆を作り続けてきました
これまで丹波篠山の黒大豆は「1970年代の減反政策の転作作物として広がったもの」と多くの生産者や市民に認識されてきました。しかし今から約300年前の1730年刊行の料理本「料理網目調味抄」には、「黒豆 丹州笹山良し」と書かれおり、当時から黒大豆が丹波篠山で作られていたことを示しています。
黒大豆栽培の始まりは用水不足から犠牲田を設け畑地化したことでした
丹波篠山では、水不足のため導水せずに稲作をしない「犠牲田」を集落で協力し合いながら設け、そこで黒大豆栽培が始まりました。
当時、丹波篠山の多くが湿田でした。但し、湿田では黒大豆栽培ができませんでした。そのため、湿田に溝を掘り、畝を高くすることで、ようやく栽培ができました。これが今日の黒大豆「丹波黒」栽培の技術的な基盤になり、乾田高畝栽培技術として確立しました。
守り育ててきた優良種子が地域の貴重な資産に
丹波篠や山の黒大豆には川北系統、波部黒系統と呼ばれるように在来の種子が昔からたくさんあり、大雪に引き継がれてきました。特に、波部本次郞らによって在来種(多様な遺伝資源)の中から優良な種子が選抜育種されてきました。
現在では、農家と行政が連携して採取ほ場を分散設置するなど持続的に優良な種子を生産しています。こうした取り組みによって多様な種子が維持されてきたからこそ、これらが地域にとって貴重な資源となっています。
「協働の風土」小規模な農家が助け合う集落営農
丹波篠山の中でもhじゃいすいせいに乏しい地域では一体的・集団的に犠牲田を設ける「坪掘」が実施されてきました。また、厳しい寒さのため冬季に畑作ができず、杜氏や酒造工として出稼ぎにいかざるを得ませんでした。こうした背景から当時は労働力が不足がちだったため、集落で助け合う「協働の風土」(集落の規範、文化)が農村に根付いてきました。
小規模な農家が多い丹波篠山では、この協働の風土から集落単位で生産組合をつくり、多くの作業工程で共同作業や機械の共同利用によって経営効率を高める生産体制をつくってきました。
丹波篠山の黒大豆栽培300年の歴史、これからも作り続ける300年に
300年前から先人の努力と技術と知恵によって連綿と作り続けてきた丹波篠山の黒大豆。これからも決して途絶えさせることなく、また、300年作り続けたい。このためには、これからもよいタネを守り、ぎじゅつをみがき、ひんしつのよい黒大豆を作り続けるひとを育て、作りたいと思う人を引きつける魅力ある地域であり続ける必要があります。丹波篠山で黒大豆栽培をこれからも一緒に作り続けましょう。
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