丹波篠山とくさんシリーズ 黒豆のおはなし

丹波篠山とくさんシリーズは1990年頃当時の篠山町農協が丹波ささやまの特産物をおはなし風につくったものです。さし絵はひのもとはじめさん。

大豆の起源

おばあちゃん、うっとこの大粒の黒豆はいつごろから作っとってんや

それはのう

 昔、昔、紀元前2838年にさかのぼってのう、当時、中国の皇帝シェン・ヌンが本草書に、大豆は重要な食料やったと書いて残しているそうな。今から言うたら約5000年前のことや。

日本ではなあ、縄文時代と言うて家も縦穴式住居やったし、その遺跡から、大豆の炭化物も発見されてるんやで

今から言うたら約5000年前のことや。日本ではなあ、縄文時代と言うて家も縦穴式住居やったし、その遺跡から、大豆の炭化物も発見されてるんやで

そうしたらなあ、おばあちゃん、お米と同じころから作っとったんけ

そういうことになるなあ

黒豆の歴史

丹波篠山には、昔から黒豆が作られとったということが、何か残っとるんけ

それはのう、230年前の江戸時代に篠山藩の青山の殿様が、時の将軍徳川吉宗に、丹波篠山特産の黒豆をおくったそうな。


そしたらなあ、これは非常にうまい、その上栄養があって、わしの体の調子がものすごうようなったとおほめがあったんや。

ちょうどその年は、丹波地方は大凶作でのう、農作物は不作で、みんなたいへんこまっとった。そうしたら黒豆をもらったお礼として、今年の年貢は納めいでもよいということになって、助かったそうなんや。


それ以来、黒豆をぎょうさん作るように奨められて、丹波篠山の大粒の黒豆は、日本中に、いや、世界中に、おいしい言うことが知れわたってしもたんや

黒豆と生活

おばあちゃん、その年最初の雷がなったら、とうじ豆を食べんなんと言うてやけど、なんでじぇ

それはのう、とうじ豆は正月の祝いにするもんやけど、保存がよくきくので、ちょうど夏近くなると、身体が夏バテになり、たんぱく質が不足するやろう、それでたんぱく質の補給をせなあかんと言うことで食べたんや。


それと、とうじ豆を食べたのは五穀豊穣でありますようにと、祈って食べたとも言われているんやで。

それからなあ、いろりの中に黒豆を12粒ならべて、
順番に1月から12月まで決めて、それを炒ってなあ、そのこげ具合で、1ヶ月の天気予報を占のうたり、それに、元旦の朝には、豆の木を燃やしてなあ、火が消えてからその茎が白いか黒いかで雨の多い月、少ない月を予想して、稲や黒豆、山の芋の植付ける日を参考にしたもんや。


また、黒豆を食べたらよい声が出るし、のどの痛いときや、せきなど、かぜ薬にもなるんやで

おばあちゃん、篠山で黒豆は昔からのうてはならんもんなんやなあ

篠山特産大粒“黒豆”

おばあちゃん、ほんならなんで黒豆は丹波篠山のんがおいしんじぇ

丹波篠山特有の夏の日中はものすごう暑なって、そして夜には急に涼しなる。


このことを、気温較差が大きいと言うんや、土もええしここは黒豆を作るのにはいちばん条件がそろとるんや。ほんでに、篠山の黒豆は肌が黒くて、その表面には白い粉が吹いてなあ、100粒の重さが75グラムにもなって丸くて厚みのある大粒で、炊いても皮がやぶれへん。


こないなもんは、ここしか作られへんのや。それとなあ、篠山地方はとっても水がきれいやから、どこにもあらへん風味がのあるおいしい黒豆がとれるんやで

黒豆と土づくり

黒豆を作って、そのあとに篠山特産の山の芋やら、農作物を栽培したらたくさんとれる言うてやけど…

肥料のない時代にはなあ、開墾地を焼畑にしてその上に草や山肥(山の下草)を刈ってきて入れて、土づくりをしたもんや。特に黒豆を作ったら、土も細こうなるし、根には根粒菌といって農作物によく効く成分が含まれとるから、土が肥えて何を作っても、ようけ収穫できよったんや

ほんでに、今でも黒豆を作ったら、よいんやなあ

日本一の黒豆はとれるし、土は肥えるし一挙両得やと今まで作って来たったんや

おばあちゃん、ようわかったわ。やっぱり、黒豆は作らなあかんなあ

そうやで、昔の人が努力して残してくれはったこの土地の文化遺産や、先祖さんにはずかしない、立派な黒豆をみんなで作って、全国のみんなによろこんで食べてもらわんとあかんのや

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